本書は、東京大学医学部附属病院精神神経科が主催する、文部科学省・高度医療人材養成プログラム「TICPOC」で行われている、心理職向けの通年コース(C-1)の講義をまとめたものです。通常の臨床心理学の教科書に比べますと、総合病院精神科に勤務しながら心理職の方々と協働させていただいている精神科医(笠井清登)の視点から、パートナーである心理職の方々に身に着けていただきたいことをコース内容としている点が特色です。

 もちろん臨床心理学のすべての分野にわたって必要な知識や経験を身に着けていただくのが理想であることは言うまでもないのですが、臨床心理学の基本的訓練は受けられていることを前提として、限られた時間のなかで重点を置くとすると、多元主義、力動的視点+投映法、社会論的転回ではないかと考えました。

 現在の多職種協働はひとりの個人に対して,専門を異にする複数のスタッフが協力して支援にあたりますが、主流のアプローチは生物・心理・社会モデルです。これは、〈教条主義〉的な脳・行動主義,または〈教条主義〉的な力動的立場よりは現代的ともいえますが、複数の次元の方法を無自覚に混在させる、いわゆる折衷主義に陥りやすいともいえます。そこで、患者さんを前にした実際の適用は本当に難しいものの、その人にとって最適な一つの方法を選択して支援する多元主義とは何か、ということを知っておくことは、自分の支援が、無自覚な折衷主義的方法論となっていないか、また、患者の価値と支援者の価値の違いに自覚的かどうか、常に振り返るうえで重要であると考えています。

 また、筆者の勤めているような大学病院に紹介されてくる患者さんは、地域の精神科診療でよくなっておられないからこそ来院されます。ご本人が自覚しており、医療者にとっても他覚的にわかる精神または身体の症状と、その原因となっているが本人にとって自覚しづらい心理社会的な要因とがかい離した状況において、診断や治療を通常通り前者にもとづいておこなう場合に、「よくならない」わけです。「よくなっていない」方は、周囲の支え手や医療者との間に互いに陰性感情をもちやすくなりますし、そのことが、紹介されてきた病院の医療者との関係にさまざまな力動的な状況をもたらします。一方で、ご本人は精神分析的な心理療法を自ら希望するといったような動機づけはありませんし、経済的に不利な立場の方も多いため、〈「非」精神分析的場面における力動的なアセスメントや支援〉を必要とします。

 さらに、定型的な診療でよくならない方の背景には、思春期までのトラウマ体験、家族関係の課題や、ご本人の認知・対人関係上の特徴と社会環境が要請する認知・対人関係上の能力との間にミスマッチが生じている状況などが主因であるにもかかわらず、医学的な特徴についてのみフォーカスして診断・治療を組み立ててこられた場合が多いと言えます。「しょうがい」を、医学的なインペアメントのみで捉えるのではなく、社会環境側、ないし本人と環境側の間のミスマッチ状況に宿ると考えるのが、障害(ディスアビリティ)の社会モデルです。通常の心理支援では、本人のインペアメントのアセスメントや介入に着目する一方、ディスアビリティの解消へ向けたアプローチには感度が低い傾向があります。

 心理職と精神科医は、脳という生物学的な視点に力点をどの程度置くかの違いはあるものの、個人と社会という観点からは、個人に対するアプローチが主体であることは共通です。また、両者とも、少なくとも日本においては、トレーニングにおける力動的視点の教育が近年周縁化されてきていることも共通です。本書が、私のような生物学的精神医学者の内なるスティグマや、臨床心理学・精神医学の支援構造に対して、ささやかな(trauma-informedな)organizational changeの第一歩となることを願っております。(笠井清登)

 

タイトル:こころを使うということ

編著:藤山直樹、笠井清登

著者:松木邦裕、中村紀子、中原睦美、伊藤絵美、村井俊哉、熊谷晋一郎

出版社:岩崎学術出版社