死刑や原爆や戦争についてのノンフィクションに取組む堀川惠子さんによる、ご自身の体験にもとづく医療ノンフィクションです。「私たちは確かに必死に生きた。しかし、どう死ねばよいのか、それがわからなかった。」という最愛の伴侶との最期の日々について、「この執筆という営みも、もしかしたら、かたちをかえた『献体』ではないか。」という思いでまとめられたのが、第一部です。執筆は、「癒えかけた傷口をこじ開け、痛みをこらえながら手を突っ込むような営みだった。
遅々として進まぬ原稿を前に、『取材者たれ』と繰り返した。」とされています。
そうした「私たちの経験を踏み台に」、社会としての問題を解明しようとするのが第二部です。
「透析医療は、入口は間口が広い」、しかし「『透析を止める』という選択肢の先には、まともな出口が用意されていない」のが現状です。そのことについて、「多くの関係者がその現実を知りながら、透析患者の死をタブー視し、⾧く沈黙に堕してきた」という闇があります。その闇に、「なぜ、膨大に存在するはずの透析患者の終末期のデータが、死の臨床に生かされていないのか。なぜ、矛盾だらけの医療制度を誰も変えようとしないのか。」と踏み込み、「国の医療政策に小さな一石を投じようとする」としています。
『永山則夫-封印された鑑定記録』で堀川さんが取り上げた人の心と、遠く結びつくテーマです。

 

タイトル:透析を止めた日
著者:堀川惠子
出版社:講談社