永山事件は、4名の方々を殺害した重大性から、未成年が犯したことの考慮や加害少年の生い立ち等の要因が深く分析されないまま、死刑判決となった有名事件です。石川義博医師による精神鑑定書は、最高裁判決において顧みられることなく、司法界においてのみならず、この失意をきっかけに鑑定医を退き精神療法家としての後半生を歩んだ石川医師個人の心のなかでも、長く封印されてきました。堀川惠子氏はこの石川医師と永山則夫の長時間にわたる鑑定記録と録音テープを再発見し、石川医師のこころを開き、石川鑑定の意義をわれわれに知らせてくれました。
永山則夫は、戦後まもない頃、極寒の地網走に生まれますが、貧困と父の博打好きに耐えかねた母は、世話役の次女と幼い女児二人(妹と姪)を選んで青森の実家に帰ってしまいます。置き去りにされた三人の兄姉らと則夫は厳しい一冬をなんとか生き延びました。その後母の実家に兄らと共に引き取られた則夫は、中学までを青森で過ごします。母は行商で忙しく、子たちは、新聞配達や家事一切を分担します。特に則夫は父に面影が似ているとして母からネグレクトを受けます。則夫は夜尿が治らず兄たちから虐待を受け、学校も欠席がちでした。実は母も極寒の地樺太で幼少期を送り、その継父から虐待を受け、実母に捨てられたトラウマサバイバーでした。網走の帽子岩の見える穏やかな海辺で遊んでくれた、則夫が唯一慕っていた長姉のセツも、精神病を発症して精神科病院に入院。セツ姉さんが退院してきて面倒をみてくれていた時期だけ、則夫は学校にきちんと出席できています。しかし大好きだったセツ姉さんが、近隣の男と情交している場面を目撃してしまい、その後中絶した子の埋葬を母に命じられた則夫は、徐々に精神変調をきたしていきます。父の非業の死、それを悲しむどころか男性との交友を始め、子を置いて一ヶ月家を不在にしたりする母。則夫は、三兄が集団就職で上京し、家で唯一の男性となると、木刀をもち、かつて兄らから自身がされていたように、妹と姪に暴力を振るいます。中三時には母が脳卒中で長期入院、妹と姪は母についていってしまいます。一人残された則夫は不良少年と交流し、万引きを繰り返す問題児となります。
中卒後、二度と故郷に戻らない決意で、不良仲間と洋服屋で盗んだシャツを着て、片道切符で東京にいき、有名フルーツ店で働き始めた則夫。一時は定時制高校にまで通い、ドストエフスキーなどを愛読する、真面目な青年の一面を見せていました。しかし、仕事は長続きしません。故郷での万引き歴や、網走刑務所の住所に酷似した本籍地などが上司にわかるのではないかと猜疑的になり、そのたびに下宿に荷物をおいたまま出奔してしまいます。定時制高校への通学も中断。その間、身元引き受けを通じて母や兄たちの自分への愛情を確かめるかのように軽犯罪を繰り返しますが、母や兄たちが彼を疎んずる逆効果を生むばかりでした。親密圏の家族にも、学校教育にも、社会にも拒絶され、居場所のない則夫が辿り着いたのは、港町横浜のホームレス・日雇い労働生活でした。横浜や横須賀の海は、則夫の眼に、網走の原風景と重なって映ったのでしょうか。そこでも居場所を失い、自己の無価値感、自殺念慮を強めていきます。食べ物を求めて米軍基地に侵入したところ、ひょんなことから「宝物」の銃を手にし、持ち歩くようになります。
そしてついに野宿できる場所を探している間に、それぞれ東京と京都で不審者として呼び止められた相手に向かって発砲してしまい、二人殺人。次兄のもとにいき、「網走で自殺したい」と告げますが、「どうせ死ぬなら熱海で死ね」と吐き捨てられます。自殺の場所を探す気持ちと兄たちや母への報復の気持ちが交錯するなか彷徨ううちに次々と発砲してしまい、ついに合計4名を射殺し、半年後に逮捕。
急激に変化する日本社会において、生まれた年代と家族内での生まれ順や性別などが絡まり合って偶然と必然を呼び込み、家族、学校教育、社会における拒絶というトラウマとして蓄積し、精神病に準じる状態といってもよい被害関係念慮が永山のこころを支配します。ついにホームレス状況からも疎外され、抑うつも加わり、自ら命を絶つか、自分を拒絶した家族や社会への当てつけで人を殺すかという視野狭窄に永山を追い込んだのです。当初、永山は黙秘をつづけ、最初の精神鑑定医にも多くを語りませんでしたが、その後鑑定を担当した石川医師との面接を重ねるなかで、少しずつ上記の人生が物語られていきました。永山は心理的に回復を遂げ、ベストセラーとなる『無知の涙』の執筆や被害者家族への印税の送金、同様な幼少期体験をもつ一般人女性ミミとの獄中結婚、彼女と二人三脚で自身のつらい少年期を見つめ直し『木橋』などの小説として発表するなどしました。高裁では無期懲役にいったん減刑されましたが、最高裁では死刑判決、1997年に執行されました。事件後の永山の人生は、犯罪少年の更生可能性の判断過程の抜本的改革を私たちに訴えかけているようです。
姉セツのこともあり精神病について整理しきれない複雑な思いを抱いていた永山は、石川鑑定の内容をいったんは拒絶し、石川医師はそのことに傷つき、鑑定医を退きます。しかし、堀川氏の発掘により、70を超えてもなお現役の精神療法家として生きる石川氏は、永山が死刑執行の直前まで鑑定書を肌身離さず持ち、熟読していたことを知ります。無論、犯罪が肯定されるべきではありませんが、石川鑑定は永山にとって精神療法の役割を果たしたと言えないでしょうか。語り難いトラウマの連続の人生に言葉と物語を自ら探し、与えることにより、永山は回復していったのです。石川医師自身も、最近の学術誌への寄稿でこのことを「力動的精神鑑定」と振り返っています。
他の作にも共通しますが、社会問題をテーマとしながらも、個人への確かな眼差し、親子や家族といった親密圏における力動的な関係やトラウマの世代間連鎖と心的外傷後成長を描写する堀川氏の視座は傑出しています。
特筆すべきことに、堀川氏は被害者らの家族にも真摯に向き合い、その主観にも寄り添っています。加害、被害を超えて、人はどう生きるかということを問いかける。私にとっては、若い頃に自分の人生を方向づけたドストエフスキーの『罪と罰』(奇遇ですが、私も高校生の時は下巻を手に取ることができませんでした)、フランクルの『夜と霧』以来の衝撃を受けた書です。
死刑囚鑑定書の語り難さから、司法界はもとより、精神医学、心理学関係者の間でもあまり知られていなかった石川鑑定の人間科学的意義を発掘した堀川氏の功績は極めて大きいものです。司法・矯正領域のみならずすべての対人支援職、教育関係者の人々、そしてすべての国民の方々に、しんどいですが、自分のこととして向き合ってほしい書です。(笠井清登)

<文庫本>
タイトル:永山則夫 封印された鑑定記録
著者:堀川惠子
出版社:講談社

<単行本>
タイトル:永山則夫 封印された鑑定記録
著者:堀川惠子
出版社:岩波書店